地球はいつでもまわってる

語学留学、ワーホリ、海外旅行のお話

北京留学から5年後、セブ島留学を決めた私

こんにちはニコです!!



今回からは英語圏への留学に関するアレコレを
書いていこうと思います。


本当は大好きな中国のことを
もっと色々語りたいんだけど、
(おいしい食べ物とかアガるスポットとか)
収拾がつかなくなりそうなので
一旦終わらせといた。
そもそも記事としての需要が少なそう。ぐすん
またいつか旅行編ということで書きます!



はい。


わたし現在28歳なんですが、
北京留学をしてたのが20~21歳くらいの頃で
タイトル通りそこから5年後、
セブ島留学に行ったから
わりと記憶に新しいほう。2年くらい前かな~~




そもそも5年間何してたんだよ、
というについてザッと説明すると
まず北京留学を終えた私、
やたら旅行好きオンナになった。


わたしの生い立ちを読んでもわかるように、
海外行ってもわりとすぐ帰りたいマインドの私でしたが
北京で仲良くなった友達に会いに
タイに行ったり
家族と台湾に行ったり
友達とシンガポールに行ったり。
もちろん北京にも3~4回遊びに行った。


ちなみにこれ全部、
中国語でやってける環境や国。
タイは友達と中国語で喋ってたし
シンガポールではほぼ中国語だった私。


それでも十分楽しくて、
世界が広がった気分で満足してた。


もはや北京留学頑張ったわたしは完全に


これ以上言語は勉強できねえモードでした。


英語なんて習得する容量がもうないと思ってたし、
苦手意識も強くなってたし、
中国語が喋れるってもう十分な価値があると感じてたから




それから旅行に加え新しい趣味として、
大学卒業時には
生粋のジャニオタにもなっていた私は
日本全国飛び回りツアーへ参戦、
全力で追いかけてはジャニーズの
推しを愛でる日々。
こんな感じで4年くらい経過。


ちなみに大学卒業後は家族で経営してる飲食店で
現在進行形で働いてます。自営業というやつ。
語学関係ないじゃん!w
ってたまに突っ込まれるけどそこらへんは個人的にあまり気にしてない。



で、そんな生活をしてる中で
自分ってどうなるんやろ
という疑問がうまれ(唐突)


というのも就職して3~4年くらいすると、
転職だったり転勤だったり
昇進だったり、
結婚や出産だったり
まわりの環境がだんだん変わっていくのに
わたしはこの辺の部分が
まっったく変わらずで。


なんだかな~~~と思いつつ、
マインドを変えたくて
気分転換も兼ね2泊3日くらいで
北京ひとり旅に行くことにした私。
(アナザースカイかよ)




前回まで友達やら家族を連れてっていたから
ひとり旅となると少しさみしくなり、
話し相手がいそうなゲストハウスの
ドミトリー(6人部屋)を予約して
北京にむかいました。


がしかし
部屋に入ったとたん


Hi!!!:)


みんなオール英語。(当たり前)
そして中国語は喋れないとのこと。
そもそもゲストハウスに泊まる人なんて
ほぼ旅人で現地民は少数。
いま思えばそりゃそうなるわって感じだけど
当時は焦った焦った。
そしてほとんど会話できずじまい。
館内にポップなバーまであって
みんなおしゃべりしてる素敵な
ゲストハウスだったのに。。




遅ばせながら、わたしはようやく確信した。


英語は必要。



ここからはわりと早かった。



この北京ひとり旅が2018年の春だったけど、
同年の9月頃にセブ留学へ向かったから。


って言っても短期留学の3週間。



長期留学を思い返して比べると、
留学にしては短すぎるというのが
正直な印象だったけど、
スケジュールを調整して調整して
スタッフの方々の協力を経ての
3週間だったので社会人の私には
有り難くて貴重な時間。
(そう考えると学生時代って良かったな・・・)



それに少なくとも
やらないよりは絶対いい
ことは確かと思ってたので。




そこから決めた学校は
知り合いからの口コミで
サウスピーク
というセブ島の語学学校。
ちなみに当時ワーホリ中だった
私の弟も3か月ほどここに滞在してた。




こんな感じでわりとバタバタと
決まっていったセブ島留学。
休みがとれる日程が定かではなかったから、
たしか1か月半くらい前に
申し込んだ気がする。



いま思えば大それたきっかけでもなかったけど、
とりあえず英語圏への扉を開けたので結果オーライ。



次回はセブに行くまでの準備期間や
通ったサウスピークのことについて
書いていきます~~。