地球はいつでもまわってる

語学留学、ワーホリ、海外旅行のお話

中国留学当初の私と一年後の私

こんにちはニコです!!


今回は中国留学当初のわたしのレベルや
実際に振り分けられたクラスのこと、
最終的に一年後はどう変化したのかを
書いていきます。



まず留学当初の私の中国語レベル(理解度)は


・基礎フレーズ何個か知ってる。
(どこ出身ですか、これはなんですか、○○がしたい etc...)
・単語がちょっとだけ分かる
(100単語いかないくらい。)
・簡単な文型は分かる(SVO)
・中国語はピンインふってたら一応読める
(発音表記。日本語で言うふりがな的存在)


くらいな感じだったので
謙遜なしに一応初級レベル。
英語で言うと中1英語のおそらく半分くらい。


前回記事で書いた通り、
日本でとってた中国語クラスも
途中からサボりまくってたので
わりと基礎のほうで成長も止まっていた。




しかしここで
中国語を学習する日本人あるある


漢字が読めるアドバンテージを発揮しがち


によりクラス分けテストの結果
わたしが振り分けられたのは






初級(上)?


この大学のレベル分けはこんなふうに
わりと細かく分かれていて、
こう見るとこのレベルは真ん中付近?
そんなに低くない。



これにはちゃんと理由があって
日本人は読み方も分からず
習ったことがない中国語でも
漢字によっては意味や
ニュアンスが分かってしまうことがわりとある。
だから書面のテストとかは特に
自分のレベルよりもひとつ
もしくはふたつ上のクラスに
振り分けられることは珍しくない。



そしてわたしもお世辞でも
このレベルではなく、
実際にこのクラスでむかえた初日は
本当にズタボロだった。


オール中国語で授業をすすめる先生の
言ってることは壊滅的にわからず
「○ページを読んで」
ってあてられたことも聞き取れず
読もうとするも
教科書に書いてある文章には
ピンイン(中国語読むためのふりがな)が
まったくついなくてほぼ読めないし
つか何について書いてるかも分からん。


こんな中でたまたまクラスに一人いた
優秀な日本人生徒の通訳のもと
初日を終えたものの私は確信した



完全に終わった。



放課後はこの優秀な日本人生徒に誘われ
クラスメイトのタイ人と3人で
お昼ごはんを食べに行ったのだけども
当然わたしはここでの
ふたりの中国語の会話もまったく分からず
ここでもオール通訳頼みだった。



いろいろともう泣きそうである。



通訳に徹したその子はというと
旦那さんの転勤により
最近北京にやってきたそうだが
中国語は完全に不自由なく喋れてたし
授業の聴き取りも完璧にできていた。
学生時代や昔から中国語を
やってたわけでなく留学経験もなし。
本人いわく
中国ドラマとか好きで見てたから〜♡
とのこと。



私「えー!!!すごすぎる!!!!」
(うそやん…そんなことあるww?)


彼女「いやいや全然~」



この日の絶望感はいまでも覚えているし
情けなさと膨大な不安におそわれ
寮に戻ると全力で泣いた。



どうしようこのクラスついていけない
てかまったく分かんない
ひとつレベル下げたクラスなら
教科書もピンインついてるみたいだし
ついていけるかな。。
(ちなみにクラス変更は自己申告一言で出来ちゃう)




以上が当初のわたし、
振り返るとこんな感じでした。
補足で言うとひとりで外食など
できるようなボキャブラリーがなかったので
最初の5日間くらいは毎日
売店でおなじパン食べてた。
(唯一読めたのがそれだった)






で、結論から言うとそれから
人生でもう一度あるかないかの
猛特訓、猛勉強により
一年後にわたしが卒業したクラスが




最初のクラスから
ひとつ下げようとか言っときながら


跳んで卒業。


ちなみに新しく勉強できたのは
貿易中国語、ニュース聞き取り、プレゼンテーション
などなど。
難しかったけど
タメになっておもしろかった。



帰国する頃には
自分の言いたいことにも
不自由することなく、
中国人とも会話ができていたし
なにより
単語がわからない
ということが本当に減っていた。


クラスメイトや寮生、
中国人の友達もできたし
なにより周りからよく
「お前まじで伸びたな。」
と言ってもらえたし
今でも中国人と話すときは
「たった一年なの?!」
とよく驚いてもらえる。


わたしも一年間の語学留学を
終えた感覚としては


想像してたより伸びた


という感じだった。




以上、
うまく変化が伝わったかは
わからんけどこんな感じ(まとめ方雑)




これは武勇伝でもなんでもなくて
私が何が言いたいのかというと
良いカリキュラム
良い教材
良い環境
でしっかり学ぶことができると
一年でも中国語はかなり習得できる
ということ。(とくに日本人は)


スタートラインがどこかにもよるけど
英語圏への留学も終えた私が
今ふりかえっても
やはり伸び率でいえば中国語だったと思う。



長くなってしまったけど
できるだけ経歴は
盛らずに書いたつもり。



じゃあ具体的にどんな勉強したんだよ
っていうのを次回
わたしがやってたやり方と、
北京語言大学の魅力とともに
書いていこうと思います。

中国留学の手続きとエージェントのこと

こんにちはニコです!


今回はわたしが北京に留学するにあたって
事前に準備したものや

利用した現地サポートに

どんなものがあったかを書いていきます。


初めての留学だったこともあり、
私はほぼすべての手続きを
前回の投稿で紹介したエージェントにお願いしました。
具体的にどんなものかというと


北京の大学への申し込み
学生寮の申し込み
ビザ手続き
保険手続き
北京空港でのお迎え
現地で銀行口座開設
現地で携帯電話の契約
往復航空券の予約



ざっとこんな感じ。


こういうエージェントのサービスは
オプションで自分に必要なものを追加できるのだけど
当然利用する分だけお金もかかる。


ただ留学に関する手続きは
日本でコツコツ中国語勉強してれば
自分で出来るものもあるので
留学前に抑えられる費用は抑えたほうがベター。
ちなみに下線を引いてある4つの手続きは
個人的に
準中級~中級程度のレベルであれば
エージェントを通さずとも
問題なくできるやつだと思うし、
人によっては他のも自分でやれるかも。


ちなみにわたしはというと
ほぼフルコースでつけた。



もちろんエージェントを利用することに関して
反対しているわけではなく、
むしろお願いしたほうが確実であったり
手間が省けるものもあるので
自分のキャパと予算に応じて
利用すればよいと思う。


現地でも中国語はほとんど
話せてないのに身振り手振り英語をつかい
自力で手続きやってる外人も見かけたので
要は気持ち、突破力かもしれない。
まあ、うまくいかなくてもそれも経験値になるから。


ただ今思えば
めっちゃ削れる費用ばっかり。



このエージェント利用問題は

私にとって後に

活きてくる経験となったので

記録として書きました。



次回はようやく中国留学の幕開け、

現地での体験談をサクッと書いていきます。

中国留学に至るまでの学生生活②

こんにちはニコです!
前回もう少しサクッと書くつもりが長くなってしまった…。
はやく肝心なところまでいきますね。
あんまダラダラ書いてるとフィリピン留学や
ワーホリ等までいきつかないので、ピッチ上げていきます。


大学での英語にいまひとつ打ち込めず、
二回生になったわたしは心機一転、中国語を履修します。
順調なスタートをみせた前期、無事に単位もゲットしました。
このとき習ったのは本当に中国語の初歩の初歩、いわゆる入門編でした。



わたし、いけるやんけ!!!


確信した私は後期も中国語2を履修することにしたが、
ここから持ち前のだらしなさを発揮していく。


後期は講義の時間割が早くなったのに加え、
冬の寒さから行くのが億劫になり寝坊が相次ぎ、
当然、内容も前期よりレベルは上がってるので
ついていけるわけもなく、
情けなさのフルコンボだった。(当たり前)


そんな大学2回生の秋、
来年から休学を考え始めるという
友達の話題がぐんと増えてきた。
だいたいAPUの学生が留学を
検討するのはこのタイミングだし
日本人学生の1/3~半分近くが、
何らかの理由によりいなくなる。(ガチ)
この大学、学費は高いのに休学費用はめちゃ安かったし
わりとあっさりと休学できる。


そして私もついに母から言われてしまう。
「あんた来年なにかやりたいことはないの?留学とか行く人も多いんでしょ。このままなんとなく学生終えるくらいなら外の世界にでて何か身に着けておいで。」


まじ何も言えない。


母は強要こそしなかったけど当時のわたしには断る理由が見つからなかった。
まじでユルくて楽しすぎる学生生活からは離れたくない。


こんな感じで翌年の留学について
考え始めたのが11月初めくらい。
(わりと遅い)


まずはネットで人気の留学先を調べはじめる。
オーストラリア、カナダ、アメリカ…
英語圏のページを開くも高い。
そもそも今こんな苦手意識の高い英語をやりたいのか私は。
そこで一応中国留学も調べてみると、
英語圏への留学に比べ圧倒的に安かった


そこでわたしは考える。


だいたい周りは留学といえば英語だけど、
中国語ならまだ本格的に勉強してる人も少ないし
ライバルもいない!(何のだよ)
それにせっかく留学行くからには目に見える伸びしろがほしい!!


決めた、わたし中国へ行く。
(英語からの逃亡に成功。)


ここまでの決断はかなり早かった。
たぶん一週間かかってない。
(シンプルに時間がなかった)


そこから私が選んだ中国での留学先は北京にある、
北京語言大学。


中国の留学先は英語圏のそれに比べて
選択肢がいろいろとシンプル。
ワーホリビザもなく留学なら学生ビザだし、
代表的な大学もだいたい決まってるので
これもわりとサクッと決まった。




いやあんた中国語もそんな真面目にやってないやん。


そう、前述のように朝が弱くまったく授業に行けなくなってた私は、
中国留学の申し込みを始めているにもかかわらず
もう単位落とすかとれるかのギリギリの虫の息だった。
というか欠席日数から言うとアウトだったはず。


しかしさすがに単位を落として
中国留学に行くわけにはいかないので
期末テストに全力を注いだわたしは
中国語暗唱テストで
とりあえずCD通りの完コピを披露し
付け焼刃で見事パス。
これには先生もビックリしていた。



さすがに先生には
「わたし中国に行くでやんす!」
とは言えないままだったけど。


こんな感じで人生初の留学が決まっていった。


ちなみに何もわからない私が
エージェントとして利用したのはここでした。


次回は中国留学準備から渡航、一年間の中国語の伸びしろについて書いていきます。